用宗について

 

用宗地域とエキサイト用宗について

静岡市の小さな港まち「用宗」。
用宗地域は静岡市の中心部から電車で2駅7分、駿河区の西南端に位置する小さな町です。

駿河湾に面した用宗の浜はかつて旧静岡市の唯一遊泳可能な海水浴場として賑わいを見せ、シンボルでもある漁港はシラス漁が有名で、現在でも多くの人々が新鮮なシラスを求めて訪れています。
海と山が織りなす自然景観とと細い路地のある街並みはどこか懐かしい感じを漂わせ、静岡市の他の場所にはない独特の景観を楽しむことができます。

しかし近年ではその懐かしい街並みも空き家が増え、家屋の取り壊しなどにより独特の景観が失われつつあります。当サイトを運営する株式会社CSAtravelと株式会社CSA不動産では、2017年より路地に残る空き家を活用し観光資源として再生する事業に取り組んできました。また、同時に地域の情報を市内、市外、国外の多くの方に発信するために地域情報発信サイト『エキサイト用宗』を立ち上げました。

『エキサイト用宗』では用宗駅を中心とした用宗、石部、広野エリアを『用宗地域』とし、地域内に残る歴史的資源や文化、自然景観、地元お店、新しく生まれ変わった施設などの魅力を伝え、将来にわたって用宗地区の賑わいを作ることを目的としています。

用宗フィッシャリーナ
静岡駅から電車で2駅、海と山が織りなす静かな風景
広野海岸公園
路地裏に残るどこか懐かしい風景

用宗の歴史と持舟城

用宗駅より北、海を見渡す小高い山の上ににはかつて持舟城が存在しました。「用宗」の地名の由来となった「持舟城」が今川氏の属将であった一宮元実によって築城されたのは、1500年代前半のこと。東海道のそばで後方には山が、前方には海もあり、駿府守備のためには要衝の地でした。のちに侵攻してきた武田信玄に奪われ、さらに徳川家康に攻められるなど城の奪い合いは何度か続き、今川時代・武田時代・徳川時代を生き残った向井水軍の基地として機能した城でもあります。1582年には武田軍が降伏し、廃城となったとみられています。

持舟城址
登城口から約10分、高台にある現在の城址
駿河湾の用宗港
持舟城址から見渡した用宗の街と駿河湾の景色。手前中央が用宗漁港

用宗漁港の発展

用宗の地は、港の誕生・発展とともに歴史文化を刻みました。江戸時代の1800年代前半に編成された古書「駿河の国風土記」には、「安倍郡持舟往返の諸帆尽く此の湊に入る」との表現があり、「持舟」(現代の用宗)の文字が確認されます。当時の持舟村は東海道のある手越原周辺まで入り江として海に面しており、隣接する焼津港とともに発展していきました。水深2500メートルの深海・駿河湾に流れ込む安倍川からの豊かな水が交わる漁港として、沿岸漁港発祥の地とも言われています。

漁船の大型化や周辺漁港の施設整備が進む中、「用宗漁港」も1960年代から漁港整備が進められ、水揚げ施設や冷蔵庫が整備されました。水揚げ量は第二次世界大戦後、増加の一途をたどり1968年には全国の漁船が利用できる第3種漁港に指定されました。

その後は漁獲量が減少し、漁港の規模は縮小。漁港西側に建てられた大型冷蔵庫は、利用されずに形のまま残っています。現在はしらす漁を中心に特産地として正組合員200人弱の小規模な漁港が生き続けています。

用宗漁港
しらす漁船が並ぶ用宗漁港

近年は漁港周辺の整備も進み、2002年に一般のプレジャーボートが利用できる「用宗フィッシャリーナ」が完成しました。富士山や駿河湾が一望できる「広野海岸公園」が設置され、週末には多くの家族連れで賑わう様子が見られるようになりました。

用宗フィッシャリーナ
用宗フィッシャリーナ
広野海岸公園
広野海岸公園

用宗駅の設置

漁港として栄えた用宗に鉄道交通の要所として、JRの駅が設置されたのは1909年。静岡駅から西に2駅というアクセスの良さで、開設当初は1日3000人、年間110万人が利用したそうです。オレンジ色の屋根のコンパクトな駅舎は、どこか懐かしくかわいらしく見えます。後方にはハイキングできる山を背負い、駅舎からまっすぐ海側に歩けば5分ほどで海水浴もできる海岸にも出られます。気軽に静岡市街地にも足を運ぶことができるので、海や山にもアクセス良好な駅となっています。

用宗駅舎
JR静岡駅から乗車7分で市街地とは全く異なる景色に出合えます